【佐倉城跡公園】心霊スポット概略
・心霊スポット名:佐倉城跡公園-さくらじょうせきこうえん
・住所:千葉県佐倉市城内
・ジャンル:城跡
・説明:
土井利勝が慶長16年(1611年)から城の普請を初め、元和2年(1616年)に完成させる。
もともとは鎌倉時代以来の名族、千葉氏の一族が築城を進めるが、完成はされず、豊臣秀吉の小田原攻めにより、北条氏と共に千葉氏も滅亡。その後に江戸入りした徳川家康が築城の為に土井利勝を送り完成に至る。
なお、城名はもともと「鹿島城」であったが、完成と共に「佐倉城」と改名されている。
その後、200年近く聳え立った天守閣だが、文化10年(1813)に焼失し、再建もされずに、最終的に明治6年に取り壊される事になる。
時を経た現在は「佐倉城跡公園」となっており、県指定の天然記念物である「モコック」と言う木が本丸跡に聳え立つ。そして春には桜の名所でもあるのだが、血生臭い土地柄のせいか、心霊スポットとしても噂は聞かれる。
また戦争時には軍隊の連隊場や宿舎にされていた事もあってか、幽霊の目撃談はよく聞かれるとの事だ。
様々な城跡でも聞かれる現象が、この「佐倉城跡」にも当てはまり、なおかつ戦時中の惨劇も、この土地に染み付いているのかもしれない。
心霊スポット【佐倉城跡公園】現地写真
いよいよ公園内に潜入といった写真。
非常に良く整備された城跡といって良いだろう。
堀の上部は見ての通りアスファルトで舗装されている。
城跡の石碑を手前に公園を撮影。
照明施設も設置されているので、深夜であっても、ある程度の視界は確保できる。
写真を見る限り、相当の明るさに思われるかもしれないが、実際は三脚にてカメラを固定し、光を集めての撮影なので、本来はもう少し暗い。
この様な大きな広場もあって、城跡というより公園の印象の方が強い。
何かと霊的な噂が良く聞かれる13階段だ。
実際には12段しかない。
もう1段は、どこへ旅に行ってしまったのだろうか。
姥が池の姿だが、暗くて確認しづらくて恐縮だ。
家老の娘をお守りしていた際、あやまって娘をこの池に落としてしまい、そのまま娘は沈んでしまった。
それに責任を感じたのだろう、姥は身を投げてしまった。
以降、この池は姥が池と呼ばれる様になったとの事だ。